こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
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HSPは1人暮らしをしたほうがいいと思った話
私が生きづらいと感じている理由の一つに「人の顔色を伺っている」があります。
私は自分がHSPと気づいてから出来るだけ人の顔色を伺わないで生きるということを意識していますが、先日実家に帰った時に「無意識に母親の顔色を伺っている」ということに気づきました。
そこで改めて「HSPは1人暮らしをしたほうがいいのでは?」と感じたので今日はその話をします。
母親の言うことを聞く子供時代だった
私は親とあまり衝突しないこども時代を送りました。
反抗期もない、親に歯向かったりしない、自分の主張を通さない、あくまでの親の言う通りにして生きていました。なぜなら、小さいころ母からの我慢と抑圧と強制を刷り込まれていたからです。
詳しい記事は↓こちら↓です。
今思えば母親は自分が出来なかったことをこどもにやらせるタイプで、母がしたかった習い事や服装を私にさせていました。私も親の言うことは聞くものと思っていたのでそれに従っていました。それでも何回か私がしたいことを母に話したことがありました。
否定された私の言葉
基本、親の言うとおりに生きていた私ですが、それでもいくつか親に願い事をしました。
- ピアノを習いたい
- 猫を飼いたい
- この服が着たい
- この路線に進学したい
このすべては「ダメ」でした。
大人になってからひょんなことから猫を飼いたいという願いを断った理由が聞けたのですが、母は小さいころに犬を飼っていたけどペットロスになってしまい、その悲しみをこどもにさせたくない、という理由でした。
その理由を聞いて私はなんだか愕然としました。当時は愕然とした理由はうまく言葉に出来ませんでしたが、今思えば猫を飼った喜びも猫を失ってしまった悲しなどの経験など何もかも奪われたしまったというショックでした。
その他にも「ダメ」と言ったものも「pekicoのためだから」という表向きの理由の裏には「こどもの人生に失敗があってはいけない」という親のエゴイズムがあったように感じられました。
そうやって自分の主張を「ダメ」と言われて育った私は誰かに何を言われても「ダメ」と言われるような気がしてならない大人になりました。
今でも親の顔色を伺っている
先日実家に帰った時のこと、母親に「クリスマスと正月のプレゼンとでなにか服を買ってあげる」とカタログ雑誌を渡されました。
通販のカタログですが、値段もそこそこでコートが4万ほどのものが載っていました。
母は「このコートでもいいのよ」とその4万のコートを指しましたが、私はどうしても「これがいい」ということができませんでした。
なぜなら「それはダメ」という母の言葉が先に頭のなかに響いてしまったからです。母から勧められたコートだったにもかかわらず、それがいいと言うことができませんでした。
そのコートのデザイン的な物も好みではなかったというのもありますが、一番の理由は「母の言うことを受け入れたくない」という私の心の抵抗がありました。
結局は別ページに載っていた値段も2万円ほどのコートにしたのですが。母や「あら安いの選んだのね」という言葉に私はホッとしてしまったんです。
気持ちは”母の機嫌を損ねずに自分の主張が通った”ということに安堵したのと同時に、「自分はまだ母親の顔色を伺っている」ということに気づかされてしまいました。
一人暮らしが安心する理由
未だ母親の顔色を伺って生きているということに気づいてしまった私は、たぶん母と一緒に暮らすということはもうできないと思いました。
たまに会うからこそ顔色を伺ってもその時だけ我慢すればいいけど、毎日家で顔を合わせていたらこども時代のように母親の言うことを聞いて生きていく人生になってしまうと感じました。
私はHSPという気質から一人でいたほうが楽だし、たぶんこれからもずっと一人暮らしを続けると思います。
それは自分を守るためであり、私が私の人生を生きるために必要なことだからです。
最後に
こうやってブログで自分の言葉を文字にしてみると、ふわっとしか感じていなかったことが形になってより明確に自分の気持ちを整理できます。
今回は私の感じたことがメインの話ですが、これからも生きづらさを緩和するために工夫をしていきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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