人生はつまらなくて当然と思っていた
こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
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人生はつまらなくて当然
私が生きづらいと感じていた理由の中に「人生はつならなくて当然」という考えがあったからです。
なぜそんな考えになってしまったのか、今回はその話をします。
我慢と抑圧と強制の人生
私が「人生はつまらない」と思うようになってしまったのは、小さいころ母からの我慢と抑圧と強制を刷り込まれていたからだと思います。
母からは
- あなたはこの習い事をやりなさい
- あなたはやりたいと言っている習い事はやらせません
- あなたは〇〇をやってはいけません
- あなたは〇〇をしなければなりません
- あなたは〇〇ちゃんとは遊んではいけません
- あなたはいい子でないといけません
などなど、私の行動をコントロールするようなことを言われ続けていました。
まさに我慢と抑圧と強制です。
母の言われるがままに行動していると自分の行動を自分で決めることができなくなり、「自分の人生を生きている気がしない」という感覚から「人生はつまらない」という考えになっていきました。
自分で自分の人生を決めてもいいという衝撃
私が「自分の人生は自分で決めていい」と気づいたのは結構大人になったからです。
独り暮らしを始めて母との距離を物理的にとれるようになってしばらくしてから、いろんな人の生き方を見る余裕が生まれてそこで初めて「自分の意思で自分の人生を決めている人が存在してる!」という衝撃を受けたんです。
自分の意思で自分の人生を決めている人は
- 自分の意見をはっきり言う
- 断るときはNOとはっきり言う
- 自分の行動に自信がある
- 人を自然に楽しませることができる
- いつも周りに人がいる
- いつも楽しそうにしている
などなど、私とは全く真逆の性質をもっているとわかりました。
そこに気づいてから私も自分の人生を自分が好きなようにするように行動を変えてみたんですが、そこには大きな落とし穴がありました。
自分の人生が決められない大きな落とし穴
独り暮らしを始め母との距離が離れてから我慢と抑圧と強制から解放されて、いよいよ自分で自分の人生を歩めるようになったと思っていましたが、そう簡単にはいきませんでした。なぜなら、
自分の選択に自信がない
からです。
小さいころから母の顔色を伺いながら行動してきたので、なにをしても誰かの目が気になってしまっていたんです。
- これをやって文句言われたらどうしよう
- 怒られたらどうしよう
- 笑われたらどうしよう
- 批判されたらどうしよう
などなど、最悪なことが頭がよぎってしまい、なにをしても自信ありませんでした。
自信がない私の相応しい生き方は
何をしても自信がない私にとって相応しい生き方とはなんだと考えた結果、
人に注目されない慎ましい生き方
がいちばん生きやすいと思いました。人に注目されなければなにをしても人目を気にする必要もない、そういう生き方の方が私らしいような気がしたんす。
そういう生き方をすることによって「人生はつまらない」という考えから、「私らしい人生になりそう」くらいには考え方がは変わった感じがします。
最後に
「自分の人生が楽しい」という言葉には華やかなイメージがありますが、こっそりと静かな人生もその人らしい人生なら楽しくなると思うようになってきました。
これからも生きづらさを緩和するために工夫をしていきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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