真面目と賢いは違うもの
こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
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真面目=賢いではない
HSPの人は真面目という傾向があります。
HSPである私も人との和を乱したくない、相手に不快な思いをさせたくない、悪い評価を受けたくない、という気持ちから真面目を演じてしまうことがあります。
なぜなら人の和が崩れたり、相手に不快な思いをさせてしまったり、自分に悪い評価が付くと生きづらいから。
でも少しでも生きづらさを少なくするために真面目に生きているはずなにに、なぜ生きづらさは少しも減らないのか。
今回は私が気づいた「勘違いしている”真面目”」の話をします。
”真面目”を勘違いしている
生きづらさを少しでも少なくするために真面目に生きているのに、なぜ生きずらいのか。
それは
真面目=賢い
と勘違いしていたからです。
不真面目に生きると親、先生、上司、友達、恋人など、周囲の人に迷惑がかかるし、自分の評価が落ちるなど、賢くない生き方だと思っていたので、そういったことを回避するために真面目に生きるということを選択をしていました。
でも不真面目に生きていたとしても、その生き方自体は評価されたり良い結果を出したりして、必ずしも真面目に生きることが正しい生き方ではないと少しずつ気づき始めました。
”真面目”は当然のこと
もう一つ「真面目に生きることが正しい生き方ではない」と気づいたことがあります。
それは
真面目というのは当然のこと
なんです。
- 約束、ルール、規則を守る
- 人の言うことをきちんと聞く
- 言われたことはやる
- 仕事はきちんと終わらせる
などなど、社会生活を行っている中で真面目ということは当然で、真面目でいることが賢いということにはなりません。
真面目に生きることで周囲とトラブルを起こさない生き方をするというのは賢い生き方とも思えますが、あくまでの生き方の選択であって、賢さの証拠にはなりません。
生きづらさを減らすためには”真面目”と”賢い”を切り離すこと
私は今までは”真面目”であることが良いことだと思っていましたが、でも生きづらさの解消にはつながりませんでした。
なぜなら生きづらさを解消するためには「今とは違う生き方を選択する」ということも必要だからです。
- 今まで決めていたルールと違うことをしてみる
- 今までの常識を忘れて、新しいことを挑戦してみる
- 今まで何となくでやっていたことを止めてみる
真面目に守っていたことを変えて新しいことへと変化させていくことが「賢い生き方」へなっていくのかなと最近思い始めました。
そして”賢い”という言葉には「ずる賢い」という言葉もあり、抜け目がない、要領がいいという意味にも含まれています。
生きやすさを追求するためには、真面目ということを忘れ「ずる賢く生きる」ということも重要なのではないかなと思います。
最後に
いかがでしたか?
HSPがずる賢く生きるというのは難しいですが、人に迷惑がかからない範囲でずるく生きるということも必要です。
これからも生きづらさを緩和するために工夫をしていきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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