みんなに好かれることは出来るのか
こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
私のHSPの診断結果はこちらをご覧ください↓↓↓
みんなに好かれるのは無理というけども…
HSPである私が苦しんだ一つに「みんなに好かれたい!」というものありました。
私以外にもこの他者承認という欲求を満たしたいという気持ちはあると思います。
でもよく自己啓発などで「みんなに好かれるのは無理だよ」と言いますよね。
だけどどうしても他者承認を求めてしまう私が考えた欲求を満たす方法の話をします。
他社承認を満たそうとしていた時の私は…
「みんなに好かれたい!」と躍起になっていた時の私は本当に辛い気持ちだったと思います。
人に媚をうり、
出来ないことを無理してやり、
自分の気持ちに反した行動を取り、
笑いたくないのに笑い、
付き合いたくない人と付き合う。
一言で言えば
人の顔色を伺う
そういう日々を送っていました。
好かれたいと思って起こしていた行動のエネルギーとそれに対するリターンが全く釣り合っていません。
それどころか好かれたいという気持ちは少しも満たされなかったんです。
気持ちが満たされないからさらに無理した行動を取ってしまうという悪循環に陥っていました。
嫌われる勇気
以前に「嫌われる勇気」という本がブームになりました。
「他人に嫌われる勇気を持つことが自分らしく生きられること」など、自分らしく生きていくうえでの心理学が書かれている本にした。
ベストセラーになった本ですが、私はどうしてもこのタイトルを受け入れることができませんでした。
もちろんこの本のことを否定する気はありません。この本によって助けられた人もいると思います。
私が”自分らしく生きるためには他人に嫌われることは必須であるというのは理解できても、「誰かに嫌われる」ということが受け入れる”ということが難しかったんです。
ですが「嫌われる勇気」というフレーズはずっと心にひっかかっていたんです。
自分がHSPと気づいてから人への接し方が変わり…
その後HSPというものを知った私は、自分らしくHSPらしく人と付き合っていく方法を考えるようになりました。
そこで私らしい人との付き合い方で狭く浅くという関係がちょうどいいということに気づきました。
こちらの記事でも人間関係について書いています。
ぜひご覧ください。
人の人生に深入りせず、私自身も深入りさせないという距離がちょうどいいと思い始めました。
そんな中で「嫌われる勇気」というフレーズが自分の中でしっくりくるようになったんです。
自分らしく、でも人に好かれて生きたいと思った私は…
狭く浅くという人間関係がちょうどいいとわかった私は他社承認の得かたにも変化がありました。
それは
好かれたいと思った人にだけ好かれればいい
と思えるようになったんです。
その他の人からどういう評価を得られても私の干渉るところではないと思うことにしました。
さすがに人に嫌われるというほどの勇気は持てませんが、自分が好かれたいなと思った人に好かれるということが私に合っているようでした。
でも私も他の人を好きになったり嫌いになったりするし、それは他の人も同じことでたまたまその人と私は合わない人間だったというだけことです。
思ったよりも嫌われない
ごく少数の人に好かれればそれでいいと思えるようになってから気づいたこと、それは
人はあまり他人のことを嫌いにならない
ということでした。
そりゃ、素行が悪いとか、トラブルメーカーとか、常識がないなど嫌われる原因があれば別ですが、他人に迷惑かけず生きていれば嫌われることはないということに気づきました。
特別に好かれることはなくても嫌われてないのであれば、そのくらいが私にはちょうどいい人間関係なのかなと思いました。
最後に
いかがでしたか?
他者承認は満たそうと思えば思うほど苦しくなっていましたが、今は自分で把握できるくらいの人間関係が持てていることで充分に自分の承認が満たされているような感じがします。
生きづらいと思うことはまだまだいっぱいりますが、これからも生きづらさを緩和するために工夫をしていきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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