HSPの私が「嫌い」を認めたら
こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
私のHSPの診断結果はこちらをご覧ください↓↓↓
誰かを”嫌いと思っていい
HSPの私は自己肯定感が低いです。
だから誰かを評価することが出来ません。
- こんな私が誰かを評価するなんておこがましい
- 人を嫌いになっちゃいけない
と思ってるからです。
でもHSPと気づいてから「嫌い」という感情を認めるようにしてきました。
今日はその話。
自分の感情を認めてみた
自分がHSPと気づいてから私は
自分で自分の感情を決めてなかった
と気づきました。
- 誰かが楽しいと言ったからこの遊びは楽しい
- 誰かが悲しいと思ったからこの話は悲しい
- 誰かがつまらないと言ったからこの映画はつまらない
そんな感じで、誰かの言うとおりに感情に私もなってました。
誰かと同じなら仲間外れにならないから安心だったんですよね。
つまり嫌われるのが怖かったんです。
でもHSPと気づいてからは、嫌われるとか関係なく自分が感じたことを受け入れようと思ったんです。
私が楽しいと感じたらそれは”楽しい”
それが生きやすい人生になっていくのではと思ったんです。
その中でハードルが高い感情が「嫌い」だったんです。
「嫌い」と言ったらすっきりした
冒頭でも言ったように「あの人が嫌い」と言っちゃいけないと思ってたんですよね。
でも生きやすい人生にしていくには「あの人が嫌い」と言えることが、大きなステップになると思ったました。
さすがに誰かに「私、あの人嫌いなんだけど」とは言えなかったので、こっそりと一人の時に
「私、〇〇さんが嫌いだな」
と呟いてみたんです。
そしたら胸がスッとスッキリしたんですよね。ただその一言なのにふわっと心が軽くなりました。
ああ、嫌いって言っていいんだ
そういう気持ちになりました。
それがきっかけになって「嫌い」という感情を受け入れられるようになったんですよね。
「嫌い」と言えたことで
「嫌い」と言えたことで、なんと「好き」も言えるようになったんです。
自分でもびっくりしたんですけど、「私が嫌いと決めるなんておこがましい」と思ってたのと同時に
私が好きと決めるなんておこがましい
って思ってたんです。
「好きの裏返しは嫌いではなく、無関心」ということは知ってたんですけど、まさか「嫌い」を押し殺してたその裏で「好き」の感情も押し殺してたとは思っていませんでした。
そう気づいてからは「これ好きだな」という感情も自分の中に認めるようにしたんです。
そのおかげで人生の生きづらさはまだまだ工夫が必要ですが、人生の楽しさは少し上がった気がします。
最後に
「嫌い」ということを認めただけで、新しい発見がありました。
そう思うと「嫌い」という感情自体が好きになりそうな気がします。
こういう発見を続けて、これからも人生の生きづらさを緩和していきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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