生き方を決められない
こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
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正しい生き方が分からない
HSPと自覚がなかった学生時代のころ、私は自分の意思で進路を決めていませんでした。
学校の先生や親が進める道を、その通りにただ黙って決めていました。
そこから学んだことの話です。
将来の夢
こどもの頃に将来の夢という作文を書かされたりしたと思いますが、私は将来の夢がないこどもでした。
友達は学校の先生とかピアノの先生とか言う中、私は将来の夢というのがピンとこなかったんですよね。
勉強も好きでなかったし、スポーツも下手だったし。なによりHSP気質のせいか人間関係を構築するのが苦手だったので、学校そのものが好きではありませんでした。
高校受験の時も本当は生きたくなかったけど、親や中学校の先生が薦めた高校へ行きました。
大学受験の時は多少私も大人になったので「大学に行かずに働く」と言ったんですが、「大学くらいは出てないと今後の人生に影響が出る」と親と高校の先生に大反対されてとりあえず大学進学へ。
こうやってずっと誰かに言われて進路を決めてきた人生だったんです。
誰かに言われて決めた進路だったけど
上記では「親や学校の先生に言われるがまま進路を決めた」と、まるで被害者っぽく書きましたけど実際は
正しい生き方が分からなかったから従った
だけだったんです。
- 誰かに言われたほうが安全そう
- 他の進路に変更するほど熱意もない
- 親や先生の言うことをきちんと聞く”いい子”という評価が欲しかった
そうやって自ら進んで親や先生の言うことを聞きに行ってたんですよね。
果たしてそんな進路の決め方でよかったのか。
やりたいことはやってないけど、やりたくないこともやってない。
喜びもないし後悔もない。
誰かに言われた通りに決めたことだから可もなく不可もない進路だったなということを今でも思います。
可もなく不可もなく、でいいの?
人生の生きやすさというのを考えたときに、可もなく不可もなくという結果で良いのか?と思ます。
可もなく不可もない人生というのは安全で平和のようにも思いますが、自分の生きやすさとリンクしてないと思ったんですよね。
自分の生きやすさは自分の幸せを求めることなのかなと思います。
そのためには多少の冒険は必要だと思っています。
私は学生時代の進路は誰かの言われるがままにしましたが、大人になった今は誰か言われるがままの決め方は辞めようと決めました。
もちろん失敗することもあるけど、でも上手くいくこともあります。
でも、それが正しい人生の歩み方なのかなとも思ったりしています。
はらはらすることが苦手なHSPですが、その気質のせいにしないでこれからも生きやすさを追求していきます。
最後に
今でも「もしあの時に自分の主張を通して進路を決めていたら」と考える時があります。
でもあの時には戻れなからせめてこれから先のことは自分で決めたいと思っています。
これからも生きやすい工夫をしていきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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