こんばんわ、pekicoです。
私は強度HSPです。
HSPとはハイリーセンシティブパーソンで「敏感で繊細な人」という意味です。
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友達、要る?要らない?
私はHSPと気づいてから捨てたものがあります。
それが
友達
です。
衝撃的かもしれないですが、この「友達」という存在が私の生きづらさを作っていた要因であると気づいたんですよね。
今日はその話。
「友達」っていったい何?
私はHSPと気づく前からずっと「友達って何?」って考えてたんです。
「なんでも話せる相手~」とか「一緒にいて楽しい~」とか世間ではよく聞くけど、私にはそれがピンと来なかったんですよ。
よく「ズッ友」なんて言うけど、ずっと友達であるのって難しいのでは?と考えてしまって、どうも友達というものの存在がそこまで重要ではない感じがしていたんです。
たぶん「友達」の意味が分かる人は友達とか友情を大切に思える人になるんだと思うですけどね、私はそういう人種ではなかったみたいです。
なので学生時代は友達関係でいらない苦労をたくさんしてきました。
今思えば一時的の学生ごっこだったかも…。
友達作りに必死だった学生時代
学生時代は「友達作り」は必須と思い込んでました。
新しいクラスになると周りも続々とグループを作り始めていたので、そこに乗り遅れないようにグループに所属することに必死でしたね。
HSPは危機管理が高いので、グループに入らないと死活問題になると考えてたんです。
仲間外れにされたくないという気持ちでグループに入っていたし、HSPは感覚が違うので正直その子たちと一緒にいてもなんだか浮いてた感じがします。
話の感覚とか何かの価値観が違ったんですよね。
私がその子たちに合わせに行ってた感じだったので、いじめられたりしませんでしたが馴染んでもいなかった、実に中途半端な状態でした。
友達の意味ではなく、必要性を考えた
自分がHSPと気づいてから出来る限り生きづらさの要因になることを排除しようと思ったんです。
その中で「友達付き合いこそが生きづらさの要因になる」と気づいてしまいました。
それまでは友達の存在意味を考えていましたが、そもそも友達って要るのか?と考えたところ「そこまで私には必要ないのかもしれない」って思ったんですよね。
そこでたどり着いた答えが「友達、必要ないな」ということでした。
友達付き合いのどんなところが生きづらかった?
HSPは他人に対して気を使って体力を消耗してしまう、そこまでして維持をするほど頑張れないなあって思ってしまったんですよね。
友達付き合いで私が生きづらいと思ったことは
- 人付き合いが無理
- 騒がしいのが無理
- 聞き手にまわるばかりになってしまうのが無理
- 休みの日まで人に合うのが無理
- 人に合った後はグテッと疲れてしまうのが無理
- 相手にイヤな印象を与えないように気を使うのが無理
- 相手の話に合わせて話題を作るのが無理
などなど…、HSP特有の必要以上に気を使ってしまうシチュエーションになるので生きづらかったんだと思います。
友達を捨ててどうなった?
友達付き合いを止めたことで、
- 外で過ごす私
- 内で過ごす私
をうまく使い分けられるようになったので、生きづらさが多少緩和されました。
人付き合いは苦手でも外で仕事していたら人間と関わる必要がありますから、仕事上の人間関係は大事にしつつも、それ以外の時間は自分を大事にするということが出来るようになったんですよね。
一部の友達とは年に1回くらいはお茶したりお互いの近況の話はしますけど、その程度の付き合いでちょうどいいんだと思います。
友達捨てても支障がないというのが私の人生なのかもしれません。
最後に
今回の私の人生は多分「友情」というものにご縁がない人生なんだろうなと思います。
そう思うのも寂しいですけど、1人で過ごせることの楽しさも感じています。
HSPはいろいろと生きづらさを感じていますが、生きやすい工夫をしていけば少しは楽になるかもしれません。
これからも自分のために生きやすさを目指していきます。
今日も読んでくれてありがとうございました。
pekicoでした。
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